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【2016年】
● 第28回三多摩反核平和の火リレー 核のない平和な世界の実現を! (2016年5月)
● 2016原発のない福島を!県民大集会 (2016年3月)
【2015年】
● 戦後70年に想う (2015年8月)
● 被爆・戦後70年 八王子平和・原爆資料館 (2015年8月)
● 被爆70周年 原水爆禁止世界大会 (2015年8月)
● 第27回三多摩反核平和の火リレー 核のない平和な世界の実現を! (2015年7月)
● 憲法改正無くして戦争のできる国へ戦争法案認めない (2015年5月)
● 戦後・被爆70年「見て・聞いて・知る戦争の時代」〜7・25「八王子平和の日」イベント〜 (2015年5月)
● 特集 戦後70年 私たちは今 (2015年5月)
【2014年】
● 核も戦争もない平和な21世紀に! (2014年8月)
● 三多摩集中行進に八王子市職から18名が参加 (2014年6月)
● 集団的自衛権行使容認は憲法9条に抵触する重大な誤り (2014年6月)
● 第26回三多摩反核平和の火リレー 核のない平和な世界の実現を! (2014年6月)
● 集団的自衛権の行使 解釈の変更だけで、戦争ができる (2014年5月)
● 東日本大震災から3年、鎮魂、そして復興への誓い (2014年3月)
● さようなら原発1000万人署名提出行動 (2014年1月)
【2013年】
● 被爆68周年 原水爆禁止世界大会 (2013年9月)
● 八王子平和の日イベント 追悼! 中沢啓治さんを偲んで (2013年7月)
● 6.2 つながろうフクシマ!さようなら原発集会 (2013年6月)
● 5・15沖縄平和行進 基地のない平和の実現を! (2013年6月)
● 第25回三多摩反核平和の火リレーに参加 (2013年6月)
● 八王子平和運動センター 「護憲運動の強化」に向けた取り組み その2 (2013年5月)
● 八王子平和運動センター 「護憲運動の強化」に向けた取り組み その1 (2013年3月)
● 東日本大震災から2年を迎えて 都本部脱原発行動委員会を結成 (2013年3月)
【2012年】
● 被爆67周年 原水爆禁止世界大会 核兵器のない平和で公正な世界のために (2012年9月)
● 八王子平和の日イベント 八王子平和・原爆資料館「被爆者から被曝者へ」交流集会 (2012年8月)
● 「さようなら原発・ストップ再稼動、三多摩集中行進」に参加! (2012年6月)
● 第24回三多摩反核平和の火のリレー (2012年6月)
● 3・11全国各地で脱・原発集会が開催 (2012年3月)
【2011年】
● さようなら原発1000万人アクション集会 明治公園に6万人が集結! (2011年10月)
● 原水爆禁止2011世界大会 核兵器のない平和で公正な世界を! (2011年9月)
● さようなら原発1000万人アクション (2011年9月)
● 5・15沖縄平和行進 (2011年6月)
【2010年】
● 原水爆禁止2010世界大会 核兵器のない平和で公正な世界を! (2010年10月)
● 八王子平和・原爆資料館開設13周年 7・25八王子平和の日・講演会 (2010年8月)
● 2010沖縄平和行進 普天間基地包囲行動 (2010年7月)
【2009年】
● 核兵器廃絶・恒久平和 原水禁世界大会に参加 (2009年11月)
● 第45回護憲大会(高松市)開催 (2009年3月)
【2008年】
● 核兵器廃絶・恒久平和 広島・長崎原水禁大会に参加 (2008年9月)
【2007年】
● 「原爆と平和」作文コンクール優秀作品 (2007年7月)
● 核兵器廃絶、軍縮の推進を (2007年7月)
【2006年】
● 写真で見る! 原水爆禁止世界大会 長崎大会に参加 (2006年8月)
● チェルノブイリ事故20年 東京平和運動スタディーツアーに参加 (2006年7月)
● 在日米軍基地の再編反対 ― 米軍再編に全面協力の小泉政府 ― (2006年3月)
【2005年】
● 核兵器廃絶、核も戦争も無い21世紀を (2005年7月)
● 思想・心情の自由、人権と命を守ることが公共サービスの本旨 (2005年3月)
【2004年】
● 被爆59周年 原水爆禁止世界大会開催 (2004年8月)
● 平和主義、国際協調に向けて (2004年3月)
● 有事関連法案の相互の関係 (2004年3月)
● 自衛隊のイラク派遣に抗議し即時中止を求める (2004年2月)
● 自衛隊はイラクへ行くな!自衛隊のイラク派兵中止を求める三多摩行動 (2004年2月)
● ワールドピースナウ、イラクへの自衛隊派遣反対集会に6,000人参加 (2004年2月)
● 声明「イラクへの自衛隊派遣反対」 (2004年1月)
【2003年】
● 自衛隊はイラクへ行くな!殺すな!殺されるな! (2003年12月)
● 核も戦争もない平和な21世紀に「労働組合こそ平和主義の先頭にたとう」 (2003年8月)
● 憲法施行56周年記念集会 (2003年5月)
● NO WAR イラク戦争反対 (2003年3月)
● イラク攻撃反対 (2003年3月)
● アメリカ・ブッシュ政権のイラク攻撃反対!!小泉政府の戦争加担反対!! (2003年2月)
● イージス艦「きりしま」のインド洋・アラビア海出航はなぜ、集団自衛権の行使なの? (2003年1月)
【2002年】
● 私たちは戦争加担者にならない (2002年12月)
● 有事法制関連三法案を廃案へ (2002年10月)
● 秋葉広島市長から八王子市職へお礼のメッセージ (2002年10月)
● 近くて遠い国の5日間 (2002年9月)
● 朝鮮民主主義人民共和国訪問 (2002年7月)
● 核兵器廃絶、基地撤去、沖縄平和行進に参加して (2002年6月)

「原爆と平和」作文コンクール優秀作品

 《優秀作品賞》

★「平和への合い言葉」   長房中3年  久保 菜奈美

★「私達に与えられた使命」 穎明館中2年 野口  智瑛



 八王子平和原爆資料館は、八王子市内の原爆被爆者の原爆に関する文献・資料の寄贈を受け、1997年7月25日市役所本庁舎の南側道路を隔てたハマナカビル2階に開設されました。運営はボランティアや地域労働組合の支援で継続され、来館者は約2500人、資料も2000点を越えています。資料館の開設主旨は核兵器廃絶と恒久平和の実現、原爆の悲惨と平和の尊さの時代継承です。
 そこで、開設10周年を記念して中・高生を対象に「原爆と平和を考える」作文コンクールを実施し、33人の応募の中から優秀作品賞お二人が決定しました。なお受賞者は8月6日に広島で開催される平和式典と原水禁広島大会に派遣される予定です。



 「平和への合い言葉」  長房中3年  久保 菜奈美

 私はこの作文を書くまで、原爆についての知識がほとんどと言っていいほどありませんでした。小学校の低学年の時に「はだしのゲン」を読み、胸が痛くなったことは覚えていますが「物語」というとらえ方で読んでいたし、実際に起こった事、というイメージが湧いてきませんでした。しかし、中学生になった今「知らない」では済まされない、そう思って原爆について調べてみることにしました。まず、その時代を生きた方の体験を聞いてみたい、と思い図書館へ行きました。昭和史のコーナーを見ていると「原爆、被爆60年、私達の証言」という八王子在住の方の被爆体験記がありました。読んでいくと、幾つもの悲惨な状況や今も残る心の傷を一生懸命私達に伝えようとして下さる体験記の中に、広島に原爆が投下された当時、私と同じ年頃を過ごした方の手記がありました。
 筆者と両親と弟・妹で暮らす一家の話でした。ご両親は広島原爆投下時、投下の至近距離にいらして亡くなったそうです。数年後、筆者は後見人となっていた叔父から母の書きおきを渡されました。万一の時の為に、それは貯金や資産の明細と共に書きしたためてあったそうです。
「万一不幸にして私達が死んだなら、あなたは立派に大きくなるのですよ。体に気を付けて大きくなって下さい。良き心の人になるのです。日本女性として恥じない人になって下さい。」
という文面でした。少し離れた所に暮していた姉妹達は命を取り留めましたが、原爆が投下されなければこの万一の時の手紙は見ずに済んだかもしれない。子供達がこの手紙を開いた時、ありがとうを言う相手のいない悲しみを思うと、胸が痛みました。
 昭和史や歴史書をいくつか読むうち、広島の原爆投下を阻止するチャンスは何度もあったことが分りました。アメリカが原爆を開発したのは、ヒトラーが率いるドイツに対抗するものだったそうですが、ドイツはソ連との戦いに敗れ、原爆開発をあきらめています。しかし、アメリカはその後もばく大な費用と人を使って開発を本格化。開発の中止はされませんでした。その後、アメリカの新大統領トルーマンは標的をドイツから日本に変えてしまい、それに対して科学者シラードらが原爆を使わないよう訴えたが、ここでも中止はされませんでした。戦争は続き、国民の命は救われない方へ進んでいってしまいました。しかし、私達の教科書の記述は「8月6日広島に、9日長崎に原爆投下。」たったそれだけでした。被害は自ら調べてみようとしなければ私達の目に触れることはないのです。今まで私は、自ら戦争や歴史を知ろうとせず、むごい状況や悲しみを受け止める勇気もありませんでした。小学校の頃、戦争に無関心であった自分がこれまで変わっていなかったことをとても恥ずかしく感じました。知らない、のではなくて、知りたくない、という気持ちが働いていたのだと思います。
 そして、被爆した自分の写真を撮ることを許してくれた方、体験談を記された方、その方たちは後世を生きる私たちのために、こんなに貴重なメッセージを、残していてくれたのです。それなのに前向きに向き合っていこうとしていなかった自分を深く反省しました。
 先日、社会科の授業で今や地球には3万発ともいわれている核兵器が存在していて、核を保有する国、核をテロに使おうとする組織がある、ということを学びました。核の抑制等がとられても、大気圏ではなく、地下での実験が行われている、ということも知りました。
 私は自分の住んでいる街が好きです。郷土愛、祖国愛がいずれ人につながっていけば良いと思います。地球の人類全てがお互いを大切に思い、二度と戦争を起こさない日がくることを被爆者の皆さんは心から願っているとも思います。広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれた「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」の言葉は国を越え、人種を越え、人類全体の合言葉になるよう、心にとめて生きていきたいと思います。





 「私達に与えられた使命」  穎明館中2年 野口  智瑛

 初夏の暑い日差しの中、平和記念公園の石碑の上に一羽の鳩が止まっている。その向こうには負の遺産、原爆ドームが見えている。その鳩の視線に見守られる中、私達は被爆者に哀悼の意を込めてセレモニーを行った。昨日、今日、広島の町を歩いていると、自分の足元で眠っている被爆者の声が聞こえてくる気がしてならなかった。
 私が広島を訪れたのは、これで二度目だ。小学校三年生の時、「はだしのゲン」を読み、原爆という言葉に思いを寄せ、ここに来た。鉄筋の骨組だけなのに、それが一層痛々しい無慚骨灰の廃墟、あの原爆ドームを見た。当時の人々が抱いた恐怖、絶望、悲しみなど、得体の知れない重々しいものを感じた記憶がある。また、平和記念資料館も訪れ、様々な展示物も見た。どちらとも、小三の私にはかなり強烈なものだった。
 あれから5年が経った。あの時受けた衝撃が薄れかけていた私に、この体験学習は改めて原爆の恐ろしさ、命の尊さを考えさせてくれる貴重な機会になった。平和記念資料館の展示物を目にした時、再び五年前の衝撃がよみがえった。午前8時15分で時を止めた時計、黒く炭になった弁当箱のご飯、人の影が焼き付いた壁、原形をとどめずに溶けてしまった瓦やビン、茶碗。全身焼けただれてケロイドになった人。紫斑が出たり歯ぐきから出血している人、脱毛してしまった人、そして一瞬にして地獄と化した広島などを写した写真。身の毛がよだつ程、原爆の恐ろしさが感じられた。幼い被爆者の写真を見ていると、この子は今どうしているのだろうか。無事に生き抜いていけたのだろうか、などと、私は思いをめぐらせてしまった。
 その晩、宿に語り部さんたちが来て下さり、被爆体験についてお話された。彼女は勤労奉仕に来ていて被爆。全身大火傷を負い、救護所へ向かった。外は真っ暗で、会う人、会う人がひどいけがをしていた。あたり一面、爆風で建物がなぎ倒され、はるか向こうの瀬戸内海が見えてしまったそうだ。広島が火の海になったのはその晩のことだった。彼女は救護所に着くが、死傷者でいっぱい。手当の順番を待っている間、目の周りがはれ上がってしまい、周囲を見れなくなった。そんな時、父が自分の名前を呼ぶ声を聞いた。娘が死ぬなら自分も死ぬと、顔がはれ上がって誰だかわからなくなった一人一人の顔を覗いて回り、娘かどうか確かめてくれた父。そんな父に、彼女は筆舌に尽くしがたい感謝の気持ちと、無上のうれしさを感じたそうだ。「あの時、父が私を見つけてくれなかったら、今こうして君達と出会うことはなかったでしょう。」と彼女は語る。
 その後、彼女は火傷や嘔吐による苦しみなどに襲われて、生死をさまよった。だが「また死にたくない、生きたい。」と願いながら死んでいった友人の分も生きなければという強い意志と、家族の温かい看護のおかげで、ようやく一命を取り留めた。しかし、顔に残ったケロイドに悩まされ続けた彼女は心がひねくれ、自殺まで考えたそうだ。そんなある日、彼女は父と父の友人との会話を耳にした。そこからは、父がこんなにひねくれた自分を恨みもせず、一命を取り留めたことをどれだけ喜んでくれているのかがわかり、彼女はその場に泣きくずれてしまった。その後、数々の苦難を乗り越え、彼女は今こうして世界に平和を訴え続けている。
 この彼女の話から、私は以前読んだ「はだしのゲン」、「黒い雨」などと同じ感銘を受けた。被爆で一瞬にして地獄と化した広島。その後に続く差別の眼差しや友人をなくした悲しみ。それらにもくじけず、乗り越えようとする勇気と、一生懸命自己を再生する強さ。これら全てにだ。
 人間に喜怒哀楽の感情がある限り、戦争はなくならないかもしれない。だが、人の精神や判断力をも犯し、命の犠牲まで払って、憎しみや悲しみ、恐腐や絶望を生む戦争は絶対にやめなければならない。武力で本当の平和をつかむことなどできないはずだ。互いの国、周囲の国々が相手を思いやり、助け合ってこそそれは実現できると思う。
 歴史を変えることはできない。しかし、唯一の被爆国である私達にしかできないことがある。それは原爆が投下され、広島、長崎を合わせて35万人もの尊い命が失われたという過去の事実を受け止めた上で、私達がそのことを後世へ継承し、二度とこのような悲劇を繰り返してはいけないと訴え続けることだ。
 戦争や核がない平和な世の中で人間が自然と共存し、世界中の一人一人に笑顔あふれる世界を創っていく。これが21世紀を生きる私達に与えられた使命だと思う。



(機関紙「はちおうじ」467号/2007.7.25)
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